2011年1月14日金曜日

柴田勝家(上)

戦国くじ白で武将カードNo.4018「柴田勝家(しばたかついえ)」を引き当てました。


超有名武将です。

ワンコのコメント:
織田家に仕え、家老もつとめていた武将だワン!
武勇秀で『鬼柴田』という異名ももつ猛将だワン!!

ワンコのコメントにもあるとおり柴田勝家は織田家の重臣。

以下Wikiより抜粋:
本能寺の変後、織田氏の後継者問題では信長の三男・織田信孝の烏帽子親を務めていたこともあり、信孝を推したが、明智光秀を討伐したことで実績や発言力が大きかった羽柴秀吉(豊臣秀吉)が信長の嫡孫・三法師(織田秀信)を擁立したため、織田氏の家督は三法師が継ぐこととなり、信長の遺領配分においても河内や丹波、山城を増領した秀吉に対し、勝家は北近江3郡、長浜城(現在の長浜市)を得るにとどまり、勝家と秀吉の立場は逆転してしまった(清洲会議)。なお、この後に羽柴秀吉の仲介を受けてお市の方と結婚している(従来は信孝の仲介とされて来たが、秀吉の仲介の書状により、秀吉による仲介説が有力となっている)。

その後勝家は滝川一益、織田信孝と手を結んで秀吉と対抗するが、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄にてお市とともに自害した。享年62。辞世の句は「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」。

・信長に一度反抗した人物にも関わらず、信長は勝家の武略を高く評価して厚い信任を置いた。また、勝家の信長に対する忠誠心は絶対であったとまで言われている。
・ルイス・フロイスは著書『日本史』で「信長の重立ちたる将軍二人中の一人」と記している。

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