2011年1月20日木曜日

鳥居元忠(上)

戦国くじ白で武将カードNo.4051「鳥居元忠(とりいもとただ)」を引き当てました。


ワンコのコメント:
徳川家康に仕えた戦国武将だワン!
『三河の武士の鑑』と称賛された忠義の人だワン!!

以下Wikiより抜粋:
鳥居 元忠(とりい もとただ)は、安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣。下総国香取郡矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖。

鳥居忠吉の三男として三河国碧海郡渡郷(愛知県岡崎市渡町)に生まれる。父は松平氏以来の老臣で、岡崎奉行などを務めた。元忠も家康がまだ「松平竹千代」と呼ばれて今川氏の人質だった頃からの側近の一人である。家康の三河統一後、旗本先手役となり旗本部隊の将として戦う。

慶長5年(1600年)、家康が会津の上杉景勝の征伐を主張し、諸将を率いて出兵すると、伏見城を預けられる。家康らの出陣中に五奉行・石田三成らが家康に対して挙兵すると、伏見城は前哨戦の舞台となり、元忠は1,800人の兵力で立て籠もる(伏見城の戦い)。元忠は最初から玉砕を覚悟で戦い続け、13日間の攻防戦の末、鈴木重朝と一騎打ちの末に討死した。享年62。その忠節は「三河武士の鑑」と称された。このときの伏見城の血染め畳は元忠の忠義を賞賛した家康が江戸城の伏見櫓の階上におき、登城した大名たちに元忠の精忠を偲ばせた。明治維新により、江戸城明け渡しの際、その畳を栃木県下都賀郡壬生町の精忠神社脇に埋め供養した。床板は、「血天井」として京都市の養源院をはじめ、宝泉院、正伝寺、源光庵、宇治市の興聖寺に今も伝えられている。


槍防御武将として育てます。
指揮兵数が「1780」と少し少ないですが、このカードの絵が好きです。

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